「インドに行ったら価値観が変わるよ」
「英語が話せたら、選択肢が増えるよ」
こういう話、よく聞きます。新しい世界を知り、視野を広げ、選択肢を増やす。それは、意識が高くて前向きな、良いことだとされています。
でも私は、最近少し違うことを考えています。
満たされているなら、無理に冒険しない方がいい場合もあるのではないか、と。
ポジティブな行動は、いつも正しいのか
知らないことを知る。経験したことのないことを経験する。それによって、新しい発見があったり、人生の転換点が訪れたりすることは、確かにあります。
こうした行動は、一般的に有能で前向きなものとして語られます。その面では、良いことだと思います。
でも、そうした行動が、自分の人生を本当に良くするかどうかは、また別の話です。
新しい価値観を得たことで、日常の不満から抜け出せた人もいるでしょう。でも、それと同じくらい、良くない面も起こり得ます。
選択肢を増やすと、不幸ルートも増える
ここに、見落とされがちな事実があります。
選択肢を増やすということは、未知の幸福ルートを増やすと同時に、未知の不幸ルートも増やすということです。
例えば、高年収になったとします。一見、良いことのようです。でも、それによって付き合う人間関係が変わり、生活水準が急に上がり、見栄の出費が増え、お金目当ての人が近づいてくる。そうやって、かえって幸せから遠ざかってしまうこともあります。
異文化の価値観を知ったことで、それまで満足していた日常に、急に不満を感じるようになることもあります。その価値観を知るまでは、毎日を満ち足りて過ごせていたにもかかわらず、です。
新しい何かを取り入れることには、こうしたリスクが常に潜んでいます。
ブータンに起きたこと
象徴的な例があります。
かつて「世界一幸福な国」と呼ばれた、ブータンです。
2013年の国連の世界幸福度ランキングで、ブータンは北欧諸国と並んで8位という高順位につけ、そのインパクトから世界的に注目されました。ところが2019年版では、156カ国中95位まで転落し、その後はランキングに登場することすらなくなりました。
一説には、スマートフォンの普及によって、世界中の情報が簡単に手に入るようになったことが原因だと言われています。他の国の暮らしを知ったことで、相対的に自分たちの生活への不満が増えていった、というのです。
新しい価値観を知ったことで、かえって幸福から遠ざかってしまった。そう見ることもできる出来事です。
「不幸の解消」なら、話は別
ただし、誤解してほしくないことがあります。
現在、切実な不満がある場合は、それを解消するためのポジティブな行動は、確実に人生を良くします。
貧困に苦しんでいる人が、貧困から抜け出せる収入を得ること。これは、不幸に直結していた不満を解消する行動なので、そのまま幸福の増加につながります。
つまり、ポジティブな行動が有益なのは、「不幸を解消する」場合です。
一方で、すでに満たされているのに、さらに上を目指して起こす行動は、「不幸の解消」ではなく「欲望の追求」です。この2つは、似ているようで、まったくの別物だと思っています。
幸せな家庭のための努力が、家庭を壊すとき
一つ、リアルな例を考えてみます。
家族円満で、そこそこ満足な暮らしをしている人がいます。でも、家族にもっと良い暮らしをさせたいと思い、努力して勉強し、スキルを磨き、重要な仕事を任されるようになり、年収も上がりました。
その結果、以前より広く、便利で、子供の進学にも有利な場所へ引っ越すことができました。
一見、成功のように見えます。
でも、家族に費やしていた時間は、勉強や仕事の時間に置き換わっていました。家族の会話は減り、広くなった家では、それぞれが自室にこもるようになった。物理的な距離とともに、心の距離も、少し遠くなってしまった。
幸せな家庭のためにした努力が、結果的に家庭を冷やしてしまう。これは、決して珍しい話ではないと思います。
もともと家族円満だったのなら、その欲望の追求は、必要なかったのかもしれません。その時間は、家族との思い出のために使えたはずなのです。
足るを知る、という生き方
私の座右の銘に、老荘思想の「足るを知る」という言葉があります。
今あるもので満ち足りていると気づくこと。それができれば、無理に何かを追い求めなくても、人は十分に幸せでいられる。そういう意味だと、私は捉えています。
もちろん、刺激的で変化の多い人生を生きたい人は、どんどん選択肢を増やせばいいと思います。それも一つの生き方です。
でも、自分で設計した快適な人生を楽しみたい人にとっては、やみくもに冒険を増やすことは、警戒すべき行為になり得ます。
満たされているなら、その現状を守り、味わうこと。それも、立派な一つの選択です。
人一倍がんばって、遠くまで探しに行かなくても、幸福は意外と、自分の足元に落っこちているのかもしれません。私は、そんなふうに思っています。
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