「やりがいのある仕事を見つけよう」「好きなことを仕事にしよう」
そんな言葉を、何度も目にしてきました。
でも私は今、仕事に「やりがい」を求めていません。
それでも、心穏やかに働けています。
今回は、なぜそう思うようになったのかを書いてみます。
やりがいは、意図的に高めるものではない
そもそも、やりがいやモチベーションは、意図的に高めるものなのでしょうか。
私はそう思っていません。
本当に大事な目的があるなら、やりがいは意図せずとも自然に生まれるはずです。
逆に言えば、自分を鼓舞しなければ続けられないのだとしたら、その目的は本人にとって、実はそこまで大事なものではないということになります。
では、なぜ多くの人が意図的にやりがいを高めようとするのか。
生活のために働かなくてはならないからです。
仕事は嫌だけれど、辞めるわけにもいかない。だから自分を奮い立たせる必要が出てくる。
つまり「やりがいを高めなければならない状態」というのは、仕事が生活の手段になっている、いわばライスワークになっている状態のサインなのだと思います。
「やりがい」は、外から植え付けられることもある
さらに厄介なのは、このやりがいが、外から意図的に植え付けられる場合があることです。
低賃金・長時間労働を正当化するためのストーリーを、研修という形で社員に共有する。
そんな構造を感じたことがある人も、少なくないのではないでしょうか。
本来は労働条件という構造の問題であるはずのものが、「やりがい」や「情熱」という個人の感情の問題にすり替えられてしまう。
やりがいを外から与えられているとき、それは本当に自分のものなのか。
一度立ち止まって考えてみる価値はあると思います。
私にとっての仕事は、社会資本を得る環境
では、やりがいを求めないなら、何のために働くのか。
今の私にとって、仕事は「社会資本」を得るための環境です。
社会資本とは、他人とのつながりや協力から得られる、一種の幸福感のことです。
同僚とは仕事の話も、それ以外の雑談も気軽にできる関係があります。
自分の知らないことや、自分と違う考え方に直接触れられるのは、単純に面白い。
目の前の仕事を、みんなで協力してやり遂げる。言ってしまえば、部活動のような感覚に近いのかもしれません。
だからこそ、今より仕事が忙しくなることや、責任が重くなることは、できる限り避けたいと考えています。
社会資本を得ることが目的なのに、それを損なうような働き方をしては本末転倒だからです。
真面目に働く動機には、2種類ある
こう書くと、仕事を真面目にやらなくていいという話に聞こえるかもしれません。
そうではありません。私は基本的に、仕事には真面目に取り組みます。
ただ、真面目に取り組む動機には2種類あると思っています。
一つは、評価が下がったら困る、解雇されたら困るという、マイナスを回避するための真面目さ。
もう一つは、社会資本というプラスを得るための真面目さ。
実現する仕事の成果は同じでも、精神的な安定感はまったく違います。
前者は常に何かに怯えながら働く状態ですが、後者はそうではありません。
そしてこの違いは、こう言い換えられます。
マイナス回避は他人視点の行動で、プラス獲得は自分視点の行動です。
資産形成が、動機を選ぶ余白をくれる
では、どうすればプラス獲得を動機にできるのか。
私の場合、それを可能にしてくれたのは、着実な資産形成でした。
資産形成という後ろ盾があるおかげで、嫌な仕事を相手の顔色をうかがって無理に引き受ける必要がなくなりました。
きっぱり断れるようになったのです。
なぜなら、それを引き受けたところで、プラス(社会資本)を得ることにはならないからです。
資産形成は、単にお金を増やす行為ではありません。
自分の行動の動機を、マイナス回避からプラス獲得へと、選び直せるようにしてくれる仕組みなのだと思っています。
「好きなことを仕事に」への違和感
ここまでが、私が仕事にやりがいを求めない理由です。
そしてもう一つ、「好きなことを仕事にしよう」という言葉にも、私は違和感を持っています。
なぜ「好きなこと」を、わざわざ仕事に持ち込まなければならないのでしょうか。
私は、自分の好きなことや趣味を、成果や成長が求められる競争市場にさらしたくありません。
さらした瞬間、その活動を評価するのは自分ではなく、他人になるからです。
他人のために趣味を頑張るとしたら、それはもう趣味ではなく仕事です。
好きなことを、自分のペースで、自分の好きなようにやりたい。
「好きなことを仕事にする」というのは、実はこれができなくなることに近いと感じています。
仕事である以上、優先されるのは他人の要求だからです。
趣味と仕事は、きっちり分けたい
理想を言えば、こうです。
稼げなくてもいいという前提のもと、好きなことを自分のペースでやっていたら、結果的にお金を払ってくれる人がいた。
でもこれは、もう仕事ではなく、趣味という行動そのものです。
お金を意識した瞬間、それは趣味ではなく仕事に変わってしまいます。
だから私は、趣味と仕事をきっちり分けたい派です。
お金を稼ぐのを仕事だけに限定することで、趣味を100%楽しめるからです。
そしてこれも、結局は同じ話に行き着きます。
他人の評価軸に自分の好きなことを預けるのか(他人視点)、自分の評価軸のまま楽しみ続けるのか(自分視点)、という違いです。
まとめ
やりがいは、意図的に高めるものではありません。
高めなければならないとしたら、それは仕事が生活の手段になっているサインです。
今の私にとって、仕事は社会資本を得るための環境です。
真面目に働くこと自体は変わりませんが、その動機がマイナス回避(他人視点)なのか、プラス獲得(自分視点)なのかで、精神的な質はまったく違います。
そしてその動機を選べるようにしてくれたのが、着実な資産形成でした。
好きなことは、競争市場にさらさない。
お金を稼ぐのは仕事に任せ、趣味は自分のために取っておく。
それが、私にとって快適に生きるための、一つの答えです。
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